<Header>
<Author: 杜甫>
<Title: 丹青引贈曹將軍霸>
<Format: 七言古詩>
<Year: 1964>
<BookName: 唐詩選　上>
<Translator: 斎藤晌>
<style: 現代文無假名>
<style2: 日本現代譯文無假名標注>
<TranslatedTitle: 丹青の引曹将軍霸に贈る>
<BookPage: 107>
<UsedPage: 1>
<Feature: 1, 4>
<End Header>
<Poem>
將軍魏武之子孫，
於今爲庶爲清門。
英雄割據雖已矣，
文彩風流猶尚存。
學書初學衛夫人，
但恨無過王右軍。
丹青不知老將至，
富貴於我如浮雲。
開元之中常引見，
承恩數上南熏殿。
凌煙功臣少顏色，
將軍下筆開生面。
良相頭上進賢冠，
猛將腰間大羽箭。
褒公鄂公毛髮動英姿颯爽來酣戰。
先帝天馬玉花驄，
畫工如山貌不同。
是日牽來赤墀下，
迥立閶闔生長風。
詔謂將軍拂絹素，
意匠慘澹經營中。
斯須九重真龍出，
一洗萬古凡馬空。
玉花却在御榻上，
榻上庭前屹相向。
至尊含笑催賜金，
圉人太僕皆惆悵。
弟子韓幹早入室，
亦能畫馬窮殊相。
幹惟畫肉不畫骨，
忍使驊騮氣凋喪。
將軍畫善蓋有神，
必逢佳士亦寫真。
即今飄泊干戈際，
屢貌尋常行路人。
途窮反遭俗眼白，
世上未有如公貧。
但看古來盛名下，
終日坎壈纏其身。
<End Poem>
<Translation>
將軍は魏の武帝、曹操の子孫である。今日では平民になったとはいえ、名門であることにかわりがない。天下を三分してその一つをたもつとか、位をゆずられて天子になるとかいう家柄ではなくなったが、曹家一族の血をひいていられる將軍は、文學や藝術という點では祖先の餘徳を受けついでおいでになる。最初、書道に志して晋の衛夫人の書風を學んで非常に上達されたが、王義之にはおよばないといって殘念がられたものだ。それからもっぱら繪の道に精進され、御自分の年がよるのも氣がつかないほどうちこんでしまわれた。従って世間で立身出世するなどということは念頭になかったから、金持ちだの貴い身分だのというものは、まるで空にただよう浮き雲のように、はかないものと考えられた。開元年間に玄宗皇帝からお召しがあって、南內の南薰殿へ伺候した。太宗が凌煙閣 なんだいに功臣二十四人の像をかかせられたが、すでに百年餘も經過して彩色があせていたので、曹將軍に命じて加筆せしめられた。すると見ちがえるように生きかえってきた。
文官の元勲は頭上に進賢冠をいただき、勇猛な將軍は腰間に戦功をあらわす大羽箭を横たえたすがた。なかでも、褒國公段志玄や鄂國公尉遅敬德は髪の毛がたって動いている。英姿颯爽として、さながら今、激戦中の戦場からそのままここに立ちあらわれたように見えた。玄宗皇帝の御乗馬に玉花驄というのがある。これまで大勢の畫工に寫生をさせられたが、どうも實物どおり似せてかくことができなかった。そこで、將軍ならというので彼に寫生を命ぜられた。その日、玉花驄を玉階の前までひいてこさせ、正門に向かって、すっくと立った姿は、はるかに風が吹き起こるような勢いがあった。殿上に迎えあげられた將軍は、用意萬端ととのうと、皇帝から「將軍、さあ繪絹の方へとりかかられよ」というおことばがあった。將軍は眞剣な態度で、心の中であれこれと工夫をこらしていたが、やがて筆をふるいはじめたかと思うと、しばしのあいだに九重の内裏の奥に忽然として真の龍馬が出現した。今まで大勢の畫工の手になった有象無象の凡くら馬などはこれで一掃されてしまった。玉化驄はまさしく皇帝の御榻の上にいるではないか。この御榻の上の馬と、庭さきのうまとが、すっくと立って向かいあっている。皇帝はえみを浮かべられ、早く褒美の黃金をとらせよと催促された。これを見ていた御馬のかかりの役人たちも、 将軍の妙筆にはあきれてぼんやり氣をうばわれて突っ立っていた。
話は別だが、將軍の弟子の韓幹も早くからこの道の奥儀をきわめた人で、やはり馬を上手にえがいていろいろの特色をかきわけて有名になった。しかし韓幹は馬の肉をうまくかくだけで、外からは見えない骨をえがくまでにいたっていない。だから、 せっかく驊騮といわれるよぅな名馬をえがいても、かわいそうにどことなく元氣がうせてしまっている。曹将軍が繪が上手だといっても、それはただ上手なのではない。魂がこもっているのだ。だからりっぱな人物に出逢うことがあれば、必ずその人の眞像をうつして後世につたえることができる。しかし安藤山の亂後、張本人の安山や史思明は殺されたけれども、昔の太平の夢は二度ともどってこず、天下はあいかわらず戰亂つづきで、兵隊や武器がものいう時世になっている。あなたも安全な土地をもとめて異郷に流浪することを余儀なくされ、ありふれた行きずりの人間の注文に應じて肖像畫をかいて、わずかの潤筆料をかせぐというみじめな身の上になってしまわれた。それどころか、人間困ってくると、逆に輕蔑されたりにくまれたりして手のひらをかえすような目にあう。世間で、あなたほどの天才で、あなたほど貧乏している人はいない。ただ、こいうことはいえる。ごらん、昔から名聲の高い文學者や藝術家というものは、いつも不遇な運命につきまとわれるものだということを。
<End Translation>
<Formatted Translation>
將軍は魏の武帝、曹操の子孫である。
今日では平民になったとはいえ、名門であることにかわりがない。
天下を三分してその一つをたもつとか、位をゆずられて天子になるとかいう家柄ではなくなったが、
曹家一族の血をひいていられる將軍は、文學や藝術という點では祖先の餘徳を受けついでおいでになる。
最初、書道に志して晋の衛夫人の書風を學んで非常に上達されたが、
王義之にはおよばないといって殘念がられたものだ。
それからもっぱら繪の道に精進され、御自分の年がよるのも氣がつかないほどうちこんでしまわれた。
従って世間で立身出世するなどということは念頭になかったから、金持ちだの貴い身分だのというものは、まるで空にただよう浮き雲のように、はかないものと考えられた。
開元年間に玄宗皇帝からお召しがあって、
南內の南薰殿へ伺候した。
太宗が凌煙閣 なんだいに功臣二十四人の像をかかせられたが、すでに百年餘も經過して彩色があせていたので、曹將軍に命じて加筆せしめられた。
すると見ちがえるように生きかえってきた。
文官の元勲は頭上に進賢冠をいただき、勇猛な將軍は腰間に戦功をあらわす大羽箭を横たえたすがた。
なかでも、褒國公段志玄や鄂國公尉遅敬德は髪の毛がたって動いている。
英姿颯爽として、さながら今、激戦中の戦場からそのままここに立ちあらわれたように見えた。
玄宗皇帝の御乗馬に玉花驄というのがある。
これまで大勢の畫工に寫生をさせられたが、どうも實物どおり似せてかくことができなかった。
そこで、將軍ならというので彼に寫生を命ぜられた。
その日、玉花驄を玉階の前までひいてこさせ、
正門に向かって、すっくと立った姿は、はるかに風が吹き起こるような勢いがあった。
殿上に迎えあげられた將軍は、用意萬端ととのうと、皇帝から「將軍、さあ繪絹の方へとりかかられよ」というおことばがあった。
將軍は眞剣な態度で、心の中であれこれと工夫をこらしていたが、
やがて筆をふるいはじめたかと思うと、しばしのあいだに九重の内裏の奥に忽然として真の龍馬が出現した。
今まで大勢の畫工の手になった有象無象の凡くら馬などはこれで一掃されてしまった。
玉化驄はまさしく皇帝の御榻の上にいるではないか。
この御榻の上の馬と、庭さきのうまとが、すっくと立って向かいあっている。
皇帝はえみを浮かべられ、早く褒美の黃金をとらせよと催促された。
これを見ていた御馬のかかりの役人たちも、 将軍の妙筆にはあきれてぼんやり氣をうばわれて突っ立っていた。
話は別だが、將軍の弟子の韓幹も早くからこの道の奥儀をきわめた人で、
やはり馬を上手にえがいていろいろの特色をかきわけて有名になった。
しかし韓幹は馬の肉をうまくかくだけで、外からは見えない骨をえがくまでにいたっていない。
だから、 せっかく驊騮といわれるよぅな名馬をえがいても、かわいそうにどことなく元氣がうせてしまっている。
曹将軍が繪が上手だといっても、それはただ上手なのではない。魂がこもっているのだ。
だからりっぱな人物に出逢うことがあれば、必ずその人の眞像をうつして後世につたえることができる。
しかし安藤山の亂後、張本人の安山や史思明は殺されたけれども、昔の太平の夢は二度ともどってこず、天下はあいかわらず戰亂つづきで、
兵隊や武器がものいう時世になっている。
あなたも安全な土地をもとめて異郷に流浪することを余儀なくされ、
ありふれた行きずりの人間の注文に應じて肖像畫をかいて、わずかの潤筆料をかせぐというみじめな身の上になってしまわれた。
それどころか、人間困ってくると、逆に輕蔑されたりにくまれたりして手のひらをかえすような目にあう。
世間で、あなたほどの天才で、あなたほど貧乏している人はいない。ただ、こいうことはいえる。
ごらん、昔から名聲の高い文學者や藝術家というものは、いつも不遇な運命につきまとわれるものだということを。
<End Formatted Translation>